2015年5月7日木曜日

五体満足なのと、身体が利くということは全く違います。

● 私の稽古会には、何故か身体や心の不自由と共生しているかたが訪ねられることが少なくない。武術~!と四角張った会のありようではないので、参加してみよう、続けてみようと思われるのだろうか。いろいろな方が、この体術に何らかの縁を感じて、続けてくれるというのは嬉しいことだ。

今日の午前中は、小脳変性症という大変な病気と闘うМ君と、そのお母さん、今日はお休みだったが高次脳機能障害のJ君の三人だけのリハビリクラス。
彼らはただ立っているというだけで、ものすごい緊張と、ぎりぎりのパフォーマンスを強いられる。
原地太極十三勢功をやってもらっているが、こっちが教えられることが多い。
右に向いて足を進める・・・誰でも簡単に、意識さえしないでもできるようなことが、彼らには二重三重の複雑なシステムを経なくてはなしえないことになってしまっている。...
たとえば、上の動作を完了させるには、
背中を逆側に向ける。一緒には骨盤は振らない。背中が一定の伸びを見せたところで、後ろの股関節を反転させ開く。逆側の首筋を乗せてゆくように、内転筋に体重を通す。軽くなった足を刷らせるように半歩置く・・・こんなに複雑な動きを確認しつつ行わなくてはならない。
それだけに、彼らの行為における意識には強い集中力と繊細な感覚を感じる。

私たちの流派は、師父自体が20まで生きられないといわれた重病人だっただけに、養生ということについての蓄積は深いものがあると思っている。
今までも様ような不調、機能障害を抱えた人が入門してきたが、それを直すというのではなく、伝統のものを真剣に稽古してゆく中で知らないうちに心身ともに健全になってくるというケースが多かった。
心が身に寄り添っての人。泣いても笑っても、この身体を置いて自分はないのだから、自分自身も上手にお付き合いしていきたいし、縁のある人とその方法を模索しながら稽古してゆきたいとも思っている。

● 後日、彼のもうひとつのライフワークである絵画の展覧会が甲府であると聞いたので、中央線に乗ってちょっとした一人旅をしてみた。(ここからFB日記↓)

甲府は一番近い都会だけど、一人でぶらり旅は初めてなので、ちょっとドキドキでした( *´艸`)
むか~しむかし、父方の新田一族で旅行したときは、昼間っから「うおー!時代が時代ならば信玄でのうて我ら新田一門が~!」とか「人は石垣人は城・・・!ダイゴ、ええこと言ったなあ、親方様は、のう?」とか、大声を張り上げながら甲府の街を行く集団の中で、目立たないように息をひそめていたものでしたが・・・
なんとまあ、小奇麗になって…まったく駅前は近代都市ですよ。ミュージアムシティでござらっしゃりますですよ、これは!おら、もんげーびっくりしたずらよ!!
んで、そのミュージアムシティKOUFUのライブラリーのアートスペースexclamation ×2(しつこい)でやっている「つなぐ、たゆたう、アート展」へいって、またまたもんげーおどろいたずらっ!


М君は、この前も少し紹介した小脳変性症と向き合っているおにいちゃん。以前かれのホームページを紹介してもらい、彼が絵画を自分のライフワークにしていることを知ったのだけど、正直hpを見せてもらったときは、絵筆を持つのも大変な、彼の絵の良さがイマイチわからなかった。(hpの写真も小さすぎて画質も悪かった)
恥ずかしながら私も下手ながら芸術専門で大学を4年プラス数年やってきたわけで、造形芸術に関しては結構な数を見ていたと自負していまして、不遜にもどこか上から目線で見ていたのかもしれないわけです。

しかし、やはり絵画は(なんでもそうだけど)出会いなんですな。
一言でいうと、彼の大きなカンバスに描かれた油彩を見て、思わず相当感動しちゃったんですな!いやいや、本当に素晴らしかった。
構成、色味、配色、ムーブ、マッス、陰影、テーマと表現の協調、訴えかける親和力・・・相当の画家でもなかなかできない、ずっと見ていて見飽きない「ファインアート」をちゃんと出現させちゃってるんです。グーッと引き込まれるものがあるんですね。以前佐倉で見たロスコの画にも匹敵するような・・・
蛇足ながら、僕の目線で言っちゃうと、水彩では彼の持っているものに画材が負けている。油彩で、アクリルで、彼の持っているものは一層引き出されてくるような・・・、いやいや、ここは謙虚に行きたいところです。でも、興奮が(笑)

ほかにも障害と向かい合う子供から大人までの広範囲の作品を展示していますが・・・なんだかすごいものを見ちゃった感があって、たとえばある知的障害を持つおじさんの描く人物は、どう見ても遮光器土偶なんです。
そのひとはペンで親しい人の印象を描くわけですが、身体には不思議な突起があり、実際にはないような模様があり、性器はしっかりと描かれています。フォルムは縄文の土偶以外の何物でもないような、手足の短い、頭の大きい不思議な造詣・・・もちろんその人は土偶のことなんか念頭にはありません。そもそもの抽象、ということを考えさせられるひと時。



人間の表現したいというプリミティブな意志の純粋さを、かれらのなりふり構わない作品から受け取ってきました。

また、そこの受付のお姉さんが、以前の生徒の彼女さんで、私のことを知っており、今度彼と一緒に道場に来ることになったり、行ってみたかった武徳殿に偶然辿り着いたりと、なんだかおぜん立てが整ったような偶然に吃驚!!電車の時間が押してしまって、お昼はミスドをふたっつばっかでしたけど(´・ω・`)

ちょっとした半日のちい散歩でしたが、心はなんか大変な冒険をしてきたみたいで、ミュージアムシティKOUFU、おそるべし!と思いました。
 

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