2016年2月9日火曜日

空飛ぶ婆ちゃん(;´∀`)

昔、祖母が歩いているのを見て「なんであんなに軽く動けるのだろう?」と思ったことがある。

80になったころだっただろうか、小雨降る狭い小路を、傘をさして並んで歩いていた。
風の強い日だったが、特に強い突風が小路を吹き抜け、僕の持っていた傘は御猪口になり、骨がぼっきりと折れてしまった。

祖母は体重が30キロそこそこの小柄な人だったので、心配になって振り返ると、なんと映画メアリーポピンズさながらに笠に風を受けて空に飛びあがり、ちょうど着地したところだった(笑)
もちろん、お気に入りの傘は何の損傷もなく、何事もなかったような顔で「あー、驚いたよ。おばあちゃん空飛んじまったよ。」といってスタスタ歩いている。

僕も、そのときは「身軽だし、そんなもんかな」と思っていたのだが、よくよく考えてみると尋常なことではないということが、ずーっと後日になって分かった。

祖母は着物を着て、履物を履いて歩いている時でも、決してぺたぺた音を立てて歩くようなことは無かった。
昔の自動ドアは重量を感じて開くものだったが、祖母は良く反応させずにスーッと歩いて行って、ガラス戸にぶつかっていたものだ。
自動改札が駅に出来たばかりのころ、前の人がチケットを入れてバーが締まる前にスーッと行ってしまったり、エスカレーターの拍子が返って取りずらそうだったりと、いろいろ考えだすと思い出されることがある。

そんな独特の、浮いたような歩みというのも、姜氏門に学び、諏訪の柔術に出会い、踏んで伸びるという表現が出来るようになって、レベルの差こそあれ理解できるようになった。
これを体得するには、脚と腕の力の上流、根本をどこに置くかということが重要になってくる。そしてそこが丁度足して一になるような陰陽の掛け替えを行えるように調節してゆくこと、これに尽きる。

幸運なことに姜氏にはその傳が「奇正を相生させる」と明記されており、順心斎老先生もまた技の核心として「八方梃」というほぼ同様の身体観を伝えていらっしゃる。その構造を活かすことによって浮沈、旋転が順勢を帯び、開合伸縮に力が宿るのだ。
今日はそんな昔のことを思い出しながら、吾妻流の基本躰動の一人稽古および相の手稽古を繰り返してみた。
身体の文法、という至言を発されたのは、確かメビウス気流法創始者の坪井香譲先生だったかと思うが、思うほどに行ずるほどに、わが躰術にも、独特の文法、思想と方法論が備わりつつあるのを感じる。
姜氏、諏訪をはじめとした素晴らしき伝統の数々に学び、伝起した吾妻の体術を、懐かしい思い出とともに楽しみ歩む日々である。

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